岐阜城


【岐阜城】
 現在、山頂には三層四階の模擬天守や土塀などが復元されている他、当時の曲輪や堀切、井戸なども 残っている。


【大手道】
 現在は七曲り登山道と呼ばれている道が当時の大手道で、比較的難所が少なく登りやすい。


【冠木門】
 大手道を登ってきた場所に位置する冠木門。後世になって建てられたもの。右に進むと上格子門、 馬場へと続き、左の階段を上り、岩壁の上に行くと七間櫓跡から尾根道が続く。


【上格子門跡】
 冠木門のすぐ近くに位置し、両側を岩壁に囲まれ岩壁の上には七間櫓が築かれていた要害の場所。 関ヶ原の戦いの前哨戦となった慶長5年(1600)の岐阜城攻略戦では、攻め上ってきた福島正則の兵と 岐阜城主織田秀信の兵がこの門を巡り戦った。


【馬場跡】
 上格子門から続く細長い曲輪で、岐阜城の曲輪では唯一平坦な場所。元禄年間の地図によると 馬場跡となっているが、一説によると矢場であるという説もある。


【七間櫓跡】
 上格子門西の岸壁の頂に築かれていた櫓跡。石垣を積み上げて平地をつくり、詰め所と望楼的な建物が 設けられていた。大手道を見下ろす見張り、上格子門の防御の役割を果たしていた。また、かつてはこの櫓から 堀切を経て二の丸まで土塀が築かれており、その一部が復元されている。現在は展望台が建てられている。


【堀切】
 尾根を分断する深さ2m堀切が残っている。現在はコンクリートで固められ、松風橋が架けられている。


【馬場〜二の丸】
 馬場から二の丸へは屈曲した階段が続いている。


【二の丸】
 天守閣の南西一段下に築かれており、周囲を高い石垣で囲み守りを固めている。関ヶ原の戦いの前哨戦と なった慶長5年(1600)の岐阜城攻略戦では、この門で激戦が繰り広げられ、門内にあった煙硝蔵に火がついて 大爆発した。現在は石垣や石段が造られているが、どこまでが当時の遺構かは分からない。


【千成瓢箪】
 永禄10年(1567)、秀吉は蜂須賀小六など僅か7名を従えてこの場所まで潜入し、火を放って手柄を立てた と言われている。この時に城兵を倒した槍先に瓢箪を結びつけて勝鬨をあげた千成瓢箪発祥の地とされている。


【竪堀】
 二の丸から本丸井戸に向かう途中にある規模の大きな竪堀。現在は橋が架けられている。


【金銘水】
 湧水がない岐阜城は籠城に備えた飲み水の確保が困難で、雨水と岩の間からしみ出てくる水を溜める 井戸を岩塊に掘削している。このような井戸は二の丸を挟んで西側に3ヶ所、東側に一ヶ所ある。 ここは、その西側の井戸の一つの軍用井戸で、金銘水と名付けられていた。


【本丸井戸】
 二の丸東側に位置する井戸で、本丸井戸と名付けられていた。


【二の丸〜本丸】
 二の丸から本丸への道のりも険しい階段が続いている。


【模擬天守】
 現在の天守は昭和31年に復興されたもので、三層四階、高さ17.7mの鉄筋コンクリート造り。明治時代にも 日本で最初の模擬天守が建てられていたが、空襲で焼失した。

【天守石垣】
 岐阜城が建つ金華山はかつて一石山と呼ばれていた程岩だらけの山で、天守台も岩の上に立てられている。 明治時代に模擬天守を建てる際にも積み直されているらしく、どこまでが当時の石組みかは分からない。


【天守内部】
 天守内部は博物館になっており、信長ゆかりの品などが展示されている。


【天守からの眺め】
 標高329mの金華山山頂に築かれた岐阜城天守からは濃尾平野が一望できる。


【資料館】
 天守閣の東の曲輪に位置し、かつては食料や武器を保管する蔵が建っていたと考えられている。 昭和50年に隅櫓形式で復元され、天守閣同様江戸時代以前の歴史資料が展示されている。


【水の手道】
 天守の東側に位置するかつての水の手道で、関ヶ原の戦いの前哨戦となった慶長5年(1600)の 岐阜城攻略戦では、東軍の先鋒池田輝政軍がこの道を攻め上ったと言われている。現在は『めい想の小径』 と呼ばれ、眺望の良い登山道となっている。